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映画『TAIZO』
今日は、ベトナム・カンボジアを一緒に旅した人たちが何人か集まって、某大学の学祭で無料上映された、映画『TAIZO』を見に行った。

戦場カメラマン、一ノ瀬泰造のドキュメンタリー映画。

命懸けで、戦争の中シャッターをきる。

彼は、そんな自分を幸せだ、と言いきっている。

そして、自分のお母さんにこのような手紙を書いた。
『こんな幸せな息子が死んでも、悲しまなくていいんだよ、母さん』

映画は面白かったか?といわれれば、うーん・・・そうでもない。という感じ。

「地雷を踏んだらサヨウナラ」




の方が、楽しんで見ることができた。

でも、このコトバだけは、心に残った。

私は、死がこわい。
正直、怖いし、まだ、死にたくない。

自分にはやりたいことがまだまだあるし、自をもっと知りたい。

死んでもいいなんて思ったことは、一度もない。

それだけ情熱を燃やせるものがないということなんだろうか??

でも、私は別に、そのことを恥じないし、胸を張って「生きることに執着しています」といえる。

一之瀬泰造さんの生き方がすばらしいとか、尊敬する、という人もある。

私は、よくわかんないなぁ、という感じかな。

ひとつのことを追い求める姿には感心させられるけどね。




テーマ:生きる - ジャンル:ライフ

【2005/10/22 14:45 】
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地雷ではなく花をください
最近、世界史の資料集を読んでいる。
まったく、世界の歴史を知らないなぁ。。。と、実感し、こんなんじゃダメだっ!と思ったから。

カンボジアに行き、ポル・ポトについて興味を持ったり、地雷について本を読み、興味を持ったり。
でも、歴史の背景を知らないから、ほんと、なにもわかんない。

わかるのは、現在の状況だけ。

現在、ポル・ポトに家族を殺され、孤独に生きている人がいる、地雷で苦しんでいる人が、世界にたくさんいる、ということだけ。

前にも、地雷の記事を書いた。
「人間が地雷を捨てる日」という本を読んで、書いた記事だった。



この本は、地雷がなぜ埋められた?地雷はいまどれくらい残っているの?地雷はどうやって撤去されるの?
など、わかり易く書かれています。
中学生向け。・・・私にはこれくらいがちょうどいいんです(^^;

なんというか、現実を知ると、私はこんなに平和な国に生まれて、
生きていることが当たり前に過ごしている、なのに、
世界で戦争・地雷・虐殺などで苦しんでいる人たちに、なんにもしてあげられない。


こう、いつも切なく思ってしまうんですね。

なにか、できることはないのかな・・・と、「支援」ということについて考えてみるも、ムズカシイ。

前にも書いたが、募金をしても、現地に実際に届くのは10%・・・。

さぁ、どうしたもんか。

この、「人間が地雷を捨てる日」のなかで、「地雷ではなく花をください」という絵本が紹介されています。

この本の利益は、地雷撤去に使われる、とのこと。

実は、興味を持ち、新宿の紀○国屋書店に行って、その本を探してみました。

一冊だけなのかと思ったら、シリーズ化してて、5冊ほどならんでいたんです。
それだけ、反響があって、たくさんの人が購入したんだな、と思いました。



その分、撤去される地雷の数が、増えているのかな、と。
そして、地雷で命を落とす人も少なくなり、恐怖におびえる人も少なくなっているのかな、と・・・。

で、私は。

その本を買わなかった。

なんとなく、偽善な気がしてしまって。

本も買わない、募金もしない、・・・なんもしない。
これじゃ、なんにもならないんですよね。

でも、なんも知らないくせに、自分が「支援」だと「思う」ことをする。
無責任な気がしてしまうんです。

どう思いますか??

私は、最近、この答えを見つけ出せず、自分が「支援」だと「思う」ことをできずにいます。

最近、話題になっている「ホワイトバンド」もしていません。


【2005/10/18 15:15 】
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こんな決まり、あったらどーょ??
いぜん、もったいないオバケの記事を書きましたが…そぅ、日本が食物を捨てすぎだって話ですね

こんな決まりを考えてみました。

『飲食店で食べ残した客にお金を払わせる』

簡潔にいえば、こんな決まり。

①食べ残しの量(グラム)に応じて料金が決まる

②ただし、〇グラムまでは無料(やっぱ飾りのミントとかパセリとかは食べないじゃん?その分です。外食において、見た目って重要だと思うんだよね。そこで飲食店どうしの競争もあるだろぅし…)

③飲食店に料理の量の明示を義務付ける

どぅだろ。まだまだ考えは浅いけれども…。
こんな決まりがあったら、平気で食べ残すってコトは無くなると思うだけど??

まぁ問題もありますょ
①テイクアウトはどーすんの?
②誰も賛同しないでしょう(笑)
【2005/10/11 11:30 】
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平和は訪れた??
「人間が地雷を捨てる日」という本を読みました。
中学生・高校生向きの本で、とても読みやすく、1週間くらいで読めます。むしろ、気合入れれば一日で読めちゃいます。
興味ある方はどうぞ。(→http://www.peace2001.org/inpaku/books.html)

以前、カンボジアのポル・ポトについての記事を書きました。
ポル・ポトに関する本を読み、前に比べたら少し知識がついたと思っています。
ポル・ポト政権は、1970年代、カンボジアで多くの国民を死に追いやった、恐ろしい政権でした。

ポル・ポトの政策のひとつに、都市から人々を移動させる、というものがありました。

人々は、自分の家から離れなければいけなかった。
また、家族団らんのひとときも、許されない地域もあったという。

ポル・ポト政権が倒れ、人々はやっと、自分の家に帰ることができるようになり、心を躍らせて家に帰ったでしょう!

平和が戻った・・・!

でも、とても平和とはいえない現実が、待っていたのでした。

内戦が続き、多くの地雷が埋められていたんです。

家の庭に、毎日水を汲みに行っていた川までの道に、遊んでいた広場に・・・。

どこに地雷が埋められているかもわからず、恐怖ととなりあわせの生活が待っていたそうですよ。

ポル・ポト政権が倒れ、平和がやってきた。

一般的に見れば、そういえるかもしれません。

でも、そこに住む人にしてみれば、恐怖は続いていたんですって。

平和ってなんでしょうね?


カンボジアに、もの(文具・遊び道具など)を送る活動があったそうです。
送る際に気をつけなければならないこととして、以下の注意があった
んだって。
「送るものの中に、ボールを入れないで」

意味、わかりますか??

ボールを追って地雷原(地雷の埋まっているとされる土地)に子供が入ってしまわないように、との注意書きです。


現在。
20分に一人が、地雷の被害にあっています。
被害にあった2人に1人は、死んでしまうそうです。
死ななくとも、重症を追って、これから生きていくんです。

日本では考えられないことが、世界で現実にある。


記事を書きながら、
うーん・・・いまいち実感わかないなぁ。。。なんて思っている自分が情けない。



【2005/10/04 13:15 】
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出愛 その2
今日は、添乗で伊豆に行って参りました。

ツアーで、同じ行程を何台かのバスが連なって行くコトを、台数口といいます。
台数口では、添乗員はたいてい一台に一人ずつつきます。
その場合、一号車がチーフ添乗員、二号車がサブ添乗員。

私は今日は、サブ添乗員として二号車につかせていただきました。

なんと、一号車は去年の年末、台数口を一緒にやった男性の某添乗員さんだったんです!

添乗員って、いぃっぱいいるので、なかなか同じ人となることなんてないんですけどね。

聞いたとき、すんごくうれしかった!偶然の再会!!

この添乗員さんとは、地元が一緒だったりで会話が弾み、また会いたいな~と思っていたんです。

それに、年末はとってもタイヘンなツアーで、二人で協力してこなして、なんだかキズナのようなモノがうまれていたような気がしていたし・・・!

ツアーの途中、添乗員さんとお話をしたら、来月、カナダに行ってしまうんだって聞かされました。
就職して、もう日本には戻らないんだ、と。
正直、、ショックだった。。

別れってのは急にやってくるモノなんだな、ってまた思いました。

やっぱり、出会いは偶然、別れは必然。こういうコトなんですね。。

でも、コレでお別れって知るコトができただけ、よかった。

知らないうちに別れがおとずれていなくて、よかった。

  添乗員さんへ。
添乗員さん、お疲れ様でした。
二度もご一緒させていただいたのは、何かのご縁だったと思います。
本当にこのご縁に感謝します。
私は、あなたに出会えてよかった。添乗に対する姿勢、思いなど、勉強させていただきました。
ナマイキでスミマセン。。若いうちにもっと成長して添乗員さんのような立派な添乗員になります。って実はあんまり添乗歴はかわらないんですけどネ!
カナダに行っても、変わらず優しい人でいてください。
このご縁を信じ、いつか、また会える日を楽しみに・・・
直接は照れて言えなかったけど、本当に感謝、感謝です。
ありがとうございました。
【2005/10/03 00:47 】
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いろんな支援のカタチ
いま、『人間が地雷を捨てる日』という本を読んでいます。
地雷をこの世からなくそうという願いをこめて出版された本だそうです。
また、読みおわったら感想でもかきますね。


この本の中で、『地雷ではなく花をください』という絵本が紹介されています。
この絵本の売り上げから得た利益の一部は、地雷撤去の費用に使われているのだそうです。

なるほど…

いろいろな支援のカタチがあるなぁ、と思いました。
『WE ARE THE WORLD』という曲がありますよね?
あの売り上げの一部も、支援に使われた、と英語の授業で習いました。
これも、支援のカタチだな、と思い出しました。

また、新潟で地震が起きた際、姉妹都市である川口町が被害を受けた、ということで、狛江市がチャリティコンサートを行ったことも思い出しました。
私の所属する狛江市民吹奏楽団のメンバーも、何名か出演しました。私は、1000円払い、聞きに行きました。

過去に、私にできることは何かないだろうか??と、チャリティコンサートを行う小さなグループを見つけ、一度、見学に行ったこともあります。

多くの人が、支援というものをいろんなカタチで行っている。

私にもできることがあるはずだ。

でもね、前にも同じようなこと書いたけど、無責任じゃいけないと思うんですょ。
狛江市が行ったチャリティコンサートに払った1000円…どのようなカタチでやくに立ったんだろぅ??
知らない自分に呆れました。

今日、街角で『赤い羽共同募金』を募っている人たちがいました。
私は、募金をしませんでした。
尋ねてみたくなりました。
「募金が何に使われるんですか?いったい何%が経費などその他もろもろのことに消えてしまうんですか??」

募金をする人、募る人、ちゃんと知らなければ、と思うんです。
【2005/10/01 18:10 】
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なんで気が引けたんだろう。
以前、募金について記事を書いた。
国際支援の場合、実際に現地に届くのはたったの10%らしい、という記事である。
(→http://abnikki.blog21.fc2.com/blog-entry-23.html)

このようなブログを見つけた。
ある少年の命を助けようと、募金を募っているHPを紹介している。

http://kayopin.blog25.fc2.com/blog-entry-4.html

この募金なら、100%この少年のために使われるのだろうか??

するならこのような募金がいいのかな。


しかし、なんだか、気が引けた。


なぜだろう。。。

この子に募金して、この子は実際に助かるかもしれない。
でも、それでいいのか。いや、いいんだ。。

でも、なぜか気が引けてしまった。

この募金を疑っているのではない。

そういうワケじゃない。


なぜ、気がひけてしまったんだろう。
自分でも、わからない。。

平等じゃない、とか考えたワケでもない。
支援なんて、平等にできるはずがない。私はこう考えるから。

一人でも多くの命を助けられたら、と考えてるが、なぜだろう、気が引けてしまったのは。

わからなくなった。










【2005/09/20 18:46 】
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支援~募金について~
募金をしたことありますか?
そのお金はどうなっているのか。本当に募金はその目的のために使われているのか?

聞いた話によると、国際支援を目的とした募金の場合、実際に現地に届くのはたったの10%だそう。
残りは経費などに使われるらしい。

驚いた。
たった10%だとは思わなかった。

私は今まで、募金をしたそのお金がどのように使われ、どのように役立っているのか、深く考えたコトがなかった。
私のいくらかの募金で、少しでも多くの人が助けられれば、と思っていた。
でも、90%は現地に届かない。

なんか、切ない。

物乞いに直接お金をあげるほうがよっぽどいいのかもしれない。
とまで思ってしまった。

だからといって募金をしなければ、現地に届くのはゼロだ。

募金をするべきか、どうか。見失ってしまった。

10%

この数字を知ったうえで、募金をしますか?
【2005/09/18 23:16 】
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もしも
最近、カンボジアのことを少しでも知ろうと、本を読んでいる。
『ポル・ポト革命史』
1970年代のカンボジアをかいている。
全くと言っていいほど背景知識の無い私には難解だ。

虐殺の様子とか、人が死んでいく様子とか、読んでいると、『もしも』を考えてしまう。

もしも
日本に革命が起こって虐殺が行われ始めたら私はどうするだろう

もしも
自分が虐殺の危機にさらされたら‥‥‥

もしも
自分の親がカンボジアに生まれていたら、殺されていたかもしれない。
国民の1/4が虐殺されたといわれているこの国でこの時代に、自分の親が生まれていたら、私は1/2の確率でしかこの世に存在しない。

もしも

もしも

考えだしたらキリがないし、考えて意味があるとも思えない。

でも、思うのは、自分がいかに幸せな環境のなかに生まれ、育っているか。
生きているコトが当たり前の生活がどれだけ幸せか。
私が当たり前にできること、していることを、当たり前にできない人が世界にはたくさんいる。
病気、貧困、飢え、…。
このブログを書いているうちにも、自分の力じゃどうしようもなく死んでいっているのか…。

ほんとうに自分がこうやって当たり前に生きているってコトを幸せに感じられる心を持っていたいと思う。
忘れがちなコトだが。。
【2005/09/15 06:21 】
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出愛
今回の旅で、いろいろな出会いがあった。
ベトナムに降りてからホテルまでお世話してくれた旅行会社の方。
ホテルのスタッフたち。
たった一泊だけど、ホームステイをした時の家族。
また、一緒に旅したみんな。
それぞれが、とても貴重な出会いで、それぞれが、思い出になっている。

みーんな暖かかった。
ホストファミリーとは、ことばが通じず、ほとんど話をしなかった。
でも、別れる時は淋しかった。
笑顔を交わした相手との別れは、やっぱり、淋しいものがある。
しかも、もう会えないとわかっているとなおさら。

出会いは偶然で、別れは必然なんて言うけど、ほんとにそうかもしれないな、と思った。

添乗に行っても、毎回新しい出愛がある。
平凡に暮らしていても出愛がある。
大切にしようと思った。

この場を借りて、みんなありがとう
【2005/09/07 11:54 】
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